My Michigan Experience



中村 昌志

これを書いている今年(2010年)の夏は暑い日が続きます。連日、日本各地で「観測始まって以来の」で始まる報道が止みません。記憶の中では、1990年の夏も暑さが厳しかったような気がします。勤務先の独身寮の一室で、扇風機をガンガン回しながら、紙質の悪い、高価で分厚いGMATの問題集に取り組んでいたのは、ちょうどその頃です。

勤めていた某電機メーカーで、米国のビジネススクールへ留学することが決まった時、最初に、楽しく悩んだのは「さて、どこへ行こうか」(実際には、この段階では「どこへ願書を出そうか」)ということでした。米国での評価とは裏腹に、当時、日本では決して知名度が高くなかったMichiganを出願先に決めたのには、いくつかの単純な理由があります。

ひとつは中西部という土地柄。西海岸ほど能天気ではなく、東部よりも人当たりがよさそう、と思ったこと。自動車産業の中心地に近いことから、トップスクールの中では製造業に対する意識が高そう、と思ったこと。生徒に占めるMinority比率が高く、「多様」な感じがしたこと。懇意の米国人弁護士(米大手法律事務所のパートナーでMichigan Law School出身)に薦められたこと、などなど。入ってみた実感としては、概ね期待通りだったのではないでしょうか。あと、入る前には全く気に掛けなかったのですが、フットボールなどのスポーツが強かったこと。これは良かったです。自校チームを夢中に応援することで愛校心が高まり、学生であることをたっぷり楽しむことができました。

米国のビジネススクールへ留学を考えている人たちが、我々Alumniに尋ねるであろうFAQトップ2は、「MBA取って何かいいことあった?」と「Michiganって他と比べてどう?」ではないでしょうか。残念ながら、わたしは「MBAを取らなかった」人生を経験していないし、Michigan以外のビジネススクールへ行かなかったので、確からしい回答ができません。ただ、Ann Arborは素晴らしい町でした。これはわたし自身が、東部(New Jersey)と西部(San Diego)に住み暮らした経験と比べた上で言うことができます。心地よい町の大きさ。中西部らしいほどよい「田舎感」の中にほんの少し、インターナショナルな雰囲気を携えていたところ。(1992-3年当時の印象です。) 4ヶ月を超える長い冬もあまり苦になりませんでした。

Michigan
で得たものいろいろあります。会計や財務、統計学的マーケティング手法などの体系化された専門知識とか、日本人・外国人を問わず一緒に学んだ友人との関係とか、月並みですが、普通に表現するとそうなります。でも、あの時、あの場でしか経験できなかったことは何だろう、という視点で見ると、それは「現実に迫られることなく(こんなこと、その後の人生で殆どありませんから)、いろんなことを徹底して空想し、考えることができた」ことではないかと思います。

当時のMichiganで企業戦略の分野の名物教授だったC.K. Prahaladが授業で言った言葉で、印象に残っているものがあります。"When pressed, people make stupid decisions!" 実際の表現は少し違っていたかもしれませんが、趣旨はこんな感じでした。人間、迫られるとロクな判断しない。この言葉を借りれば「賢い判断をする訓練ができた」のがMichiganということになります。目先に現実のプレッシャがないわけですから。

留学当時のわたしは、貿易摩擦とジャパンバッシングの嵐が吹き荒れた80年代を経て、経営の現地化やグローバル化を一心不乱に模索していた日本の電機業界に身を置いていました。ですから自分自身のビジネススクールにおけるテーマも、「日本企業(特に製造業)の国際化とはどうあるべきか?」「海外で、現地人によるローカル経営を実現する上で、日本企業(人)には何が足りないか?」といったようなものでした。かなりの難問です。

スクールではケーススタディやグループワークを通じて自分なりの仮説をつくりあげていったわけですが、現実とのギャップは、卒業後2年たって、当時の勤務先が買収した米国法人に赴任してすぐに痛感することになります。多くのAlumniが認めるように、スクールはスクールに過ぎません。実際の事業現場は、スクールでは真似のできない、ハードな実地訓練を与えてくれます。スクールで頭をひねって考えていた手法などが簡単に通用するわけはなく、妥協や寝技を駆使して何とか目先の問題をクリアしていく毎日でした。それでも時々、理想の解に辿り着くアプローチに思いを巡らせることが絶えません。Michiganでの日々は、そんな思考回路の形成に一役買っていたのでしょう。

その後、電機メーカーを辞し、フィルム現像やポストプロダクション、映像制作などを営む企業に移りました。6割の売上を海外で稼いでいた、B to C中心のメーカーから、殆どの売上が国内で、閉鎖的な業界でB to Bのサービスを提供する会社へ。自らのキャリアを取り巻く状況は激変です。「グローバリゼーション」への執着はどこかへ消えていってしまいました(笑)。時期的に丁度2000年が境となるのですが、これ以降のわたしのキャリアにおけるメインテーマは「(コンテンツの)デジタル化とネットワーク流通がもたらす産業構造の変化」といった、これまた大風呂敷なものになっていきます。

テーマは変わりましたが、日常のリアルな悩みは変わりません。「今月は売上が足りない!」から始まって、「他社に価格競争で負けた」とか「作業ミスで顧客からクレームを受けたがどうしよう」とかそんなことの連続です。それでも、一瞬の隙に、頭が浮世離れして、「コンテンツが物理メディアから開放されて、その流通が時間や距離の制約を飛び越えていくと、我々の産業構造は云々」などと考え始めていたりすることがあります。もちろん、90年代初頭のMichiganに「コンテンツのネットワーク流通」に関する授業などなかったのですが、こうした思考の流れもまた、リアリティを気にせずに仮想空間で思索し続けることが許されたMichigan での日々のレガシーではないかと思ったりするのです。

Michigan
で、あるいはビジネススクールで、何を手に入れるかひとそれぞれだと思います。わたしの場合、そこでの経験は、今(実際に卒業から17年経った今!)、振り返ってみると、上述したような、自分の思考回路を支える、いくつかの支柱に育っていった気がします。この支柱、普段は水中に浸っていて、放っておくと貝殻が着いたりするので、時々掃除が必要です(笑)。でも、かなり堅牢で、長持ちしています。それもそのはずです。ほんの短い間でしたが、あれほどの教授陣と、多彩な経験を持つ意欲、才能に富んだ多くのクラスメートとの交流、そして毎日山のような宿題や資料と格闘したプロセスが生み出したものですから、そう簡単に陳腐化したり、劣化したりしません。Michigan Experienceとは、そういうものだったと思います。

 

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